日本仏教鑽仰会
講師
Event

櫛谷 宗則

禅僧

自己のいのちに開かれていく
みんなこの自分というものがあり、向こうに世界があるように思って、そのなかで勝った負けた得だ 損だ、偉い偉くないと必死で生きています。なるべく自分が損しないよう、人に良く思われるよう、お互いさま大変です。しかしそういう生き方は、たとえうまくいってるように見えても必ず行き詰ります。それは人との関係かもしれないし、仕事上の失敗かもしれないし、あるいは天災、病気、老い、そして死かもしれない。もう手も足も出ない、自力無功です。
しかしそれを契機として、自己の内なるいのちの深さに開かれていく。それはいのちの祈りかもしれません。―朝顔を見るなかに、朝顔のすがすがしさ、透明さに開かれていく。悲しみを頂くなかに、悲しみに開かれていく。悲しみの透明さ、いとおしさに開かれていく。夕空を見るなかに、夕空の透明さ、限りなさに開かれていく。いつも心はすぐにギュッと凝り固まります。俺の気に入らないことですぐ凝り固まる。私の心は絶望、苦しみ、悲しみでいつもいっぱいです。手も足も出ない、四方八方塞がっている。
ただ地力無功の深さのなかに開かれていく。自力無功の姿勢が坐禅です。その声がお念仏です。坐禅という天地の身構えにこの身を投げ入れるなかに身心が開かれていく。念仏という天地の声にこの身が浸されるなかに、おのずとお念仏があふれてくる。朝顔が、悲しみが、夕空が、他でもない私のいのちの深さなのだと頂かれたとき、私が私の花を開くように、天地のいのちが花開く。それは、とどまらず、つかめない、刻々のいのちの息吹きです。

 

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